積小為大

大事をなそうと思ったら、まず小さなことを怠らず勤めなければならない。小が積もってはじめて大となるのである。 失敗する人の常として、大事をなそうとして小事を怠り、難しいことを心配して、やりやすいことを勤めないから、結局大事をなすことができないのだ。それは「大は小を積んで大となる」ことを知らないからだ たとえば、百万石の米といえども、米粒が特別大きいわけではない。万町歩の田を耕す 場合でも、その作業は一鍬ずつの仕事からである。千 里の道も一歩ずつ歩いて到達する 山をつくるときも、ひとモッコの土からなるというこ とをしっかりとわきまえて、気持ちを奮い起こして小さなことを勤めていけば、大きなこ とも必ず成就することができる。 小さなことをいい加減にする者は、大きなことも必ずできないのである。

道を尽くす

二宮金次郎はいいました。 「道を実行することは難しい。道が行われなくなって久しい。才能があっても、カがなかったときは行われないし、 才能や力があっても、徳がなければまた行われない。徳があっても、 位がないときはまた行われないだろう」 そんなことを聞くことがある。 けれども、これは大道を国家天下のもとで行う場合ではないか。それならば、難しいの は当然である。しかし、私の道(仕法)を行うときには、人物がいないことや位がないことを心配したりはしない。

茄子をならすのは、茄子づ くりの百姓が立派にこさえればいい。
馬を肥やすのは、馬子がみごとに育てればいい。一家をまとめるのは、亭主がうまく行えばいい。あるいは兄弟親戚、朋友同志がお互い結束してこの道を行えばいいのだ 人々がこの道を尽くし、家々そして村々がこの道を踏み行えば、どうして国家が復興しないことがあるだろうか。

柿を選ぶのにも

若者が数名いた。二宮先生は彼らに諭しておっしゃった。

世の中を見てみなさい。一銭の柿を買うのにも、二銭の梨を買うのにも、芯がまっすぐでキズのないものを選んで取るだろう。また、茶碗ひとつ買うにも、色のいいもの形のよいものを選び撫でてみて、音を鳴らして聞き、選りに 選んで取るものだ。世の中の人は、 みなそうだ。

柿や梨は買っても、味や品質が悪ければ、捨てればよいものなのに、こういうものさえ、ここまでして選ぶのだ。

ならば、人に選ばれて、婿や嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者は、自分の身にキズがあっては、人が取ってくれないのは当然のこ とだ。 自分がキズをたくさん持っているのに、上に立つ人に 用いられなかったとき「自分を見る目がない」などと上の人を悪くいって非難するのは、大きな間違いである。自らを省みよ。必ず自分の身に、キズがあるからに違いない。

人の「身のキズ」とは、たとえば、酒が好きだとか、 酒の上での不好だとか、放蕩したとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとかが 挙げられるだろう。

何か一つか二つのキズがあるならば、買い手がないのも当然だ。 これを柿や梨にたとえれば、芯が曲がって渋そうに見えるのに似ている。人が買わないのも、無理はない。このことをよく考えなければなら ない。古語(『大学」伝六章)に「心 の中の真相は、必ず外にあらわれる」とあるが、キズ がなく芯がまっすぐな柿が売れないはずがない。

逆に、たとえ草深い中でも、山芋があれば、人がすぐ に見つけて捨ててはおかない。また、泥深い水中に潜伏するウナギやドジョウも、必ず人が見つけて捕らえるのが世の中だ。 そうであれば、内に真心があれば、それが外にあらわれない道理があるはずがない。この道理をよく心得て、自分の身にキズがつかないように 心がけなければならない。

四万人を救う

二宮金次郎はいいました。
私はこのとき駿河国御厨郷で飢民の救済を扱ったことがあったが、すでに米やお金も尽きて方策がない。そこで、郷中の人々に諭していった。
「昨年の不作は、ここ六十年の間でも稀なことでした。しかし、普段から農業に精を出し、米麦の余分をつくっている心がけのよい者は、さしつかえはないでしょう。今飢えに困っている者は、その多くは普段から仕事を怠けて米麦の収穫が少なく、遊びや博打を好み、飲酒に耽り、身を持ち崩し、無法なことをして心がけのよくない者なので、今の飢えの苦しみは天罰といっていいでしょう。したがって救済しなくてもよいような者なのですが、乞食になる者を見てみなさい。彼らは、無法なことや悪い行いをして、ついに住んでいた土地を離れて、乞食をするようになった者も多いのだから、強く非難されても仕方のない人たちです。しかし、こんな人たちでさえ、憐れんでお金や一握りの食べ物を恵んでやるのが、世間の通例です一方、今飢え苦しんでい 同じ風に吹かれ、吉凶·葬祭ともに助け合ってきた因縁 浅からぬ人たちですから、これを 見捨てて救済しないなどということはできません。 そこで今、私は飢えに困っている人たちのために、無利息十カ年賦のお金を貸して救済 しようと考えています。しかし、飢えに困るほどの人たちは、ひどい困窟をしていると思うので、今飢え苦しんでいる人たちは、返納はできないでしょう。 よって、来年から救済を受けなくてもさしつかえない者は、乞食に施してやると思って お金を十文または二十文出してやりなさい。そんなに 余裕がなければ、七文でも五文でもよろしい。

来年豊年になったら、天下は豊かになるでしょう。御厨郷だけが乞食に施しをしなくても、国中の乞食が飢えることはないでしょう。乞食に施す米やお金でもって無利息金の返納を補ってやれば、損をせずに飢民を救うことができます。これは両方ともにうまくいく 道ではありませんか」 こんなふうに諭すと、村の者一同ありがたく感じ、承諾した。よって、役所から無利息金を十カ年賦で貸し渡して、大いに救済することがで きた。これによって、余裕のある者 の中で一銭の損をした者はなく、飢えに苦しむ者も一 人としてなく、安心して飢箇を免れることができた。
このとき、小田原領だけで救済した人の数を、村々から書き上げて調べたところ、四万三百九十余人に及んだ。

評議が決してから弁当を

駿河国(静岡県)駿東郡は、富士山の麓で、雪水がかかる土地なので、天保七年の凶作 は特にひどかった。そこで、領主の小田原藩主(大久保 忠真)は、江戸において先生に、 米や金の出し方は、家老の大久保に申しつけてある。 小田原に行って、それを受け取るように」と救済を命じられた。 先生は早速出発して、夜行で小田原に到着し、米と金 を請求したが、家老·年寄ら役 人の評議がなかなか決まらず、金次郎は、長いこと待たさ れた。そして昼になり、役人たちが みな弁当を食べて、その後で評議しようということに なった。
そこで、先生はおっしゃった。 「飢えで苦しむ人たちは今、死に直面しています。こ れを救うべく、行われているこの評 議は、まだ終わっておりません。それなのに、弁当を優先して、緊急の評議を後にすると 議は、まだ終わっておりません。そういうのは、公議を後にして私事を優先することに等し いことです。 今日評議していただいていることは、平常のこととは 違い、数万の人々の命にかかわるな案件です。まずこの議を決めてから、弁当はお食べになるべきです。この議が決まらなければ、たとえ夜になってもお食べになってはなりません。謹んでご決議をお願いいたします」 このように、金次郎はいったので、「それはもっともなことだ」と一同の者たちは、 弁当を食べることをやめて評議に入り、速やかに御用 米(臨時の用に供するために貯蔵しておく米)を供給せよ、ということが決まり、その旨が倉奉行に達せられた。ところが、倉奉行が開倉する定日は月に六回となっていて、定日の他にはみだりに開倉する例はない、といって倉を開けようとしない。そこでまた、大いに議論になったが、倉奉行が先ほどの家老が列席する評議の際に弁当云々の 話があったことを聞き、速やかに蔵を開けたという。

施しと救済

二宮金次郎はまた、こういいました。
前に述べた方法は、ただ救済の良法だけでなく、農業奨励の良法でもある。これを施すときは、一時の困窮を救うだけでなく、怠惰な者をも自然に働き者に変え、知らないうちに仕事を習い覚えさせる。
そして、それが習慣となって、弱者も強者になり、愚者も仕事に慣れ、幼い子供も縄をなうことや草鮭をつくることなど、その他いろいろな稼ぎを覚えて、することがなく遊びほうける者もいなくなる。人々は、無為徒食を恥じて、それぞれ心を打ち込んで仕事に励むようになるのである。
恵んでも減らさないというやり方は、窮乏を救う良法である。しかし、前の方法は、それよりすぐれた良法だといえよう。
飢麓や凶年でなくても、救済に志のある者は、深く注意しなければならない。世間では、救済に志のある者は、よく考えもせずに金品を施し与えることがあるが、それはよくない。

なぜなら、それによって人々を怠惰に導くからだ。これは、恵んで減らしてしまうということだ。恵んでも減らさないように注意して施し、人々が心を奮い立たせ、努力して困難に立ち向かえるようにすることが必要である。

湯船の湯

嘉永五年(一八五二年)正月に、ある人が先生と一緒に入浴したことがあった。そのとき、先生が湯船の縁に座って、その人を諭しておっし ゃった。 世の中、あなたたちのように裕福でありながら、足ることを知らず、利益を食り、不足を訴える者は、たとえば、大人がこの湯船の中に立っ たまま屈まないで、湯を肩にかけながら「なんだ、この湯船が浅いのは。膝にも達しないぞ」と罵るようなものだ。もしその ような要求に従えば、深すぎて子供のような小さな者 は入浴できなくなってしまう これは、湯船が浅いからではなく、自分が屈んで入ら ないという過ちが原因である。この過ちを悟って屈んで入れば、湯はたちまち肩に達し て、自然に十分になる。不平不満を、 他に求める必要はない。世間の裕福な者がいう不平不 満は、これと同じなのである。 そもそも自分の分限を守らなければ、どれだけ財産が あったとしても不足だというだろ う。いったん、過分の間違いを悟って自分の分度を守 れば、その余分が自然に生じ、その 余分で人を救ったとしても、まだ余りが残ることだろう。

湯船において、大人は屈んで入って湯が肩まで達し、 子供は立って入って湯が肩まで驚
することを、 中庸"という。収入が百石の者は、五十 石に屈んで、残りの五十石の余谷 は譲り、千石の者は、五百石に屈んで、残りの五百石 の余裕は譲る。これを「中庸,とい
うのだ。 もし、村の中で、一人この道を踏み行う者がいれば、 人々はみな自分の分度を超えてい る間違いを悟るだろう。そして、これを皆が悟り、分 度を守り、その余裕を譲れば、必ず 村は豊かに栄え、穏やかに生活できるだろう。古語 (『大学」伝九章)に「一家に仁道が行 われれば、国全体もこれにならって感奮興起して仁道 が行われる」といっている。よく考
えなさい。 仁は人道における最高の徳だが、儒者の説はとても難 しくて役に立たない。卑近な例で いえば、この湯船の湯のようなものだ。 この湯を手で自分のほうに掻き寄せれば、湯は自分の ほうに来るように見えるけれども 結局はみな向こうのほうへ流れ帰ってしまう。これを 向こうのほうへ手で押すときは、湯 は向こうのほうへ行くように見えるけれども、また自 分のほうへ流れ帰ってくるのである。 少し押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天 理だ。仁といい、義というのは、 湯を向こうへ押すときの名である。自分のほうへ掻き 寄せるときは不仁となり、不義となる。慎まなくてはならない。古語(「論語」顔淵第十 二)に「私心に打ち克って礼の精神に 立ちかえるなら、天下の人々がその人徳になびくよう になる。仁を行うのは、自分しだい だ。どうして人を頼みにできようか」とある。 この古語にいう「私心」とは、手が自分のほうへ向く ときの名である。そして「礼」と は、自分の手を向こうのほうに向けるときの名であ る。自分のほうに手を向けておいて、 仁や義を人に説くことはみな無益なことである。そこ をよく考えられよ。 人体の組み立てを見なさい。人の手は自分のほうに向 いて、自分のために便利にできて いるけれども、また向こうのほうにも向いていて、向 こうへ押すこともできる。 これが、人 道のもとだ。鳥や獣の手は、人間と違って自分のほう だけに向いて、 自分に便利なだけだ だから、人たる者には、「他の人たちのために押す 道」がある。なのに、自分のほうに 手を向けて、自分のために取ることだけを勤めて、向 こうのほうに手を向けて他の人たち のために押すことを忘れている者は、「人にして人に あらず」といえよう。すなわち、鳥 や獣と変わらない。なんとも、恥ずかしいことではな いか。 これは、ただ恥ずかしいだけではない。これは天理に 背いているから、ついには滅亡す る。だから、私は常に、「奪うに益なく、譲るに益あ り。譲るに益あり、奪うに益なし。これはすなわち天理である。」と教えているのだ。このことをよくよく玩味するがよい。