中江藤樹

今日は内村鑑三の代表的日本人で取り上げられた一人、中江藤樹について書いていきたいと思います。 その前に中江藤樹の根幹であった陽明学について簡単に触れておきます。 陽明学 15世紀ころの明の時代に活躍した儒学者である王陽明によって確立した儒学の一…

本多静六について

本多静六は日本の日本の林学者、造園家、株式投資家。日本の「公園の父」といわれる。苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資で巨万の富を築き、大学定年退官と同時に全財産を寄付した人物です。 静六は1866年に現在の埼玉県久喜市…

江川太郎左衛門英龍

みなさん、江川太郎左衛門英龍をご存じでしょうか 江戸幕府後期の伊豆国韮山で、代官の家に生まれました。民政の充実を図るだけでなく、西洋砲術を学び、黒船前後の幕府海防政策に携わりました。そんな韮山代官江川太郎左衛門英龍についてまとめていこうと思…

二宮金次郎の生涯

二宮金次郎は1787年小田原藩足柄下郡栢山村(現在の小田原市栢山)の農家にうまれる。 幼いころは裕福であったが、金次郎が 5 歳の時南に、関東を襲った暴風で近くに流れる酒句川の堤が決壊し、金次郎が住む東栖山一帯が濁流に流されてしまいました。その影響…

水の教え 氷の教え

先生はおっしゃった。 大道というのは、たとえると水のようなものだ。よく 世の中を潤して、停滞しないものである。 しかし、このように尊い大道も、文字にして書物にしただけでは、世の中を潤すことな く、役立つことはない。これはたとえば水が凍ってい る…

両全の道

先生はおっしゃった。 世界の中で法則とすべきは、天地の道、親子の道、夫 婦の道、農業の道という四つの道 だ。この道は、実に両者が双方ともに完全な道であ る。どんなことでも、この四つの法則 を規範とすれば、間違いはない。私がかつて、「おのが子を …

鼠の地獄 猫の極楽

吉凶·禍福·苦楽·憂歓などは、相対して表裏一体のもの である。 なぜなら、猫が鼠を捕ったとき、猫にとってそれは楽 しみの極みだが、捕られた鼠にと っては苦しみの極みであるからだ。蛇の喜びが極まる とき、蛙の苦しみが極まる。鷹の喜 びが極まるとき、雀…

積小為大

大事をなそうと思ったら、まず小さなことを怠らず勤めなければならない。小が積もってはじめて大となるのである。 失敗する人の常として、大事をなそうとして小事を怠り、難しいことを心配して、やりやすいことを勤めないから、結局大事をなすことができない…

道を尽くす

二宮金次郎はいいました。 「道を実行することは難しい。道が行われなくなって久しい。才能があっても、カがなかったときは行われないし、 才能や力があっても、徳がなければまた行われない。徳があっても、 位がないときはまた行われないだろう」 そんなこ…

柿を選ぶのにも

若者が数名いた。二宮先生は彼らに諭しておっしゃった。 世の中を見てみなさい。一銭の柿を買うのにも、二銭の梨を買うのにも、芯がまっすぐでキズのないものを選んで取るだろう。また、茶碗ひとつ買うにも、色のいいもの形のよいものを選び撫でてみて、音を…

四万人を救う

二宮金次郎はいいました。私はこのとき駿河国御厨郷で飢民の救済を扱ったことがあったが、すでに米やお金も尽きて方策がない。そこで、郷中の人々に諭していった。「昨年の不作は、ここ六十年の間でも稀なことでした。しかし、普段から農業に精を出し、米麦…

評議が決してから弁当を

駿河国(静岡県)駿東郡は、富士山の麓で、雪水がかかる土地なので、天保七年の凶作 は特にひどかった。そこで、領主の小田原藩主(大久保 忠真)は、江戸において先生に、 米や金の出し方は、家老の大久保に申しつけてある。 小田原に行って、それを受け取るよ…

施しと救済

二宮金次郎はまた、こういいました。前に述べた方法は、ただ救済の良法だけでなく、農業奨励の良法でもある。これを施すときは、一時の困窮を救うだけでなく、怠惰な者をも自然に働き者に変え、知らないうちに仕事を習い覚えさせる。そして、それが習慣とな…

湯船の湯

嘉永五年(一八五二年)正月に、ある人が先生と一緒に入浴したことがあった。そのとき、先生が湯船の縁に座って、その人を諭しておっし ゃった。 世の中、あなたたちのように裕福でありながら、足ることを知らず、利益を食り、不足を訴える者は、たとえば、大…

続、飢饉を救う

二宮金次郎は、また、こういいました。 天保七年(一八三六年)、烏山藩主の依頼によって、同領内に前の方法を大略次のように実施した。 各村に諭して、きわめて困窮している者のうち、力仕事につける者とつけない者の二つ に分け、力仕事につけない老人·幼児·…

飢饉を救う

二宮金次郎はいいました。 私が烏山藩やその他の地で実施した飢離の救済方法だが、まず村々の人たちに諭して、 次のようなことを行った。 飢えと渇きで苦しむ者の中で、老人·幼児·病人など力 仕事が難しい者、またその日の 働きが十分にできない婦女子を残ら…

到達点は一つ

二宮金次郎はいいました。 世の中にある「誠の大道」というのは、ただ一筋ある だけではなかろうか。神道、儒教、 仏教というのは、いずれもみな同じ大道に入る入り口 の名前だといえる。 あるいは天台宗、 真言宗、法華宗、禅宗というのも、同じく入り口の…

己に克つ

二宮金次郎はいいました。 天理と人道との違いを、よく弁別できる人はあまりい ない。身体があれば、欲がある。 これは、天の理に他ならない。田畑に雑草が生えるの と同じだ。防は崩れ、堀は埋まり 橋は老朽化する。これも天の理だ しかし、人道は、私欲を…

勝手気ままのままでは

二宮金次郎はいいました。 人の道とは、人がつくったものであり、自然に行われ る天理とはまったく違っていると いうことは先に述べた通りだ。天の理とは、たとえば 春は生じ、秋は枯れ、火は乾いたと ころにつき、水は低いところに流れる、というように 昼…

人道は水車のごとし

二宮金次郎はいいました。 人の道は、たとえてみれば水車のようなものだ。その 形の半分は水流に従い、もう半分 は水流に逆らって回転する。全体が水中に入れば、回 らないで流されるだろう。また、水 から離れたら回るはずがない。仏教において高徳の僧 が…

天の理と人の理

二宮金次郎はいいました。 世界はくるくるまわり、止むことがない。 寒さが去れば暑さが来て、暑さが去れば寒さが来る。 夜が明ければ昼となり、昼になれば夜がくる。 生まれた子どもは刻々と年を取り、築いた堤防は時を刻むごとにくずれ、ほった堀は日々夜…

報徳元恕金

こんにちは へこみんです 前回は五常講についてお話しましたが、今回は、報徳元恕金というものについてお話します。 金次郎は桜町の復興のめどがついた際に、小田原藩主大久保忠真から褒美をもらうことになりました。 しかし、金次郎はその褒美をうけとりま…

五常講

こんにちは へこみんです 二宮金次郎が発案したものに、五常講というものがあります 今回は五常講についてはなしたいとおもいます。 金次郎が大切としていた道徳の根幹としていたものが儒教です。 その儒教の教えに五常というものがあります。 五常とは、人…

その後の金次郎について

こんにちはへこみんです。 今回は金次郎の難関その二です 仕法を、様々な村々で実施して、弟子もついていた金次郎ですが、小田原藩が急遽仕法を中止します。 一体何が起きたかはっきりとわかっていませんが、藩主大久保忠真がなくなったことが大きな要因です…

金次郎と相馬中村藩と富田高慶

飢饉を乗り越えた金次郎のもとには多くの人が教えを請うために集まってきました。 その中に金次郎の教えを受け継ぐ弟子の一人に富田高慶という人がいました。 富田高慶は、1814年六月、相馬中村城下に産まれました。 17歳のときに江戸に出て、相馬中村藩を発…

天保の飢饉と金次郎

こんにちは へこみんです 今回は、やっと邪魔者がいなくなった金次郎に降り掛かった災い、天保の飢饉の話です。 天保の飢饉とは 1833年―1836年(天保4年―7年),長雨・洪水・冷害によって全国的に起こった大飢饉。1836年の大凶作で農村は荒廃,都市の米価…

金次郎、最大のターニングポイント

こんにちは へこみんです 今回は、大事件の話です。 映画二宮金次郎より 豊田正作と二宮金次郎の図 金次郎が桜町にきて5年経ちました。 しかし、上司の武士に邪魔をされてばかり、そんな中、最悪の上司と言われている豊田正作が赴任してきて、さらに邪魔をし…

金次郎の邪魔をする上司

こんにちは へのみです 前回は報徳仕法について、かんたんに説明しました。 今回は、桜町復興の続きです。 桜町復興を目指している金次郎ですが、 桜町復興の全権が金次郎にあったわけではありせんでした。 金次郎には武士の上司がいました。 この上司は数年…

報徳仕法

こんにちは へこみんです。 今回は、報徳仕法についてです。 非常に重要なんですが、結構わかりにくいので、気になる方は、ググって頂いたほうがいいかもしれないです。 金次郎が実施しようとした報徳仕法とは一体どんなものだったのかをすごく簡単に説明し…

偉人二宮金次郎、桜町に行く

こんにちは へこみんです 小田原藩主大久保忠真から表彰を受けた金次郎でしたが、小田原藩には思惑がありました。 小田原藩には、宇津家と言う親戚がいました。 宇津家が所領している現在の栃木県県真岡市にある桜町というところは、名目上4000石の石高があ…