柿を選ぶのにも

若者が数名いた。二宮先生は彼らに諭しておっしゃった。

世の中を見てみなさい。一銭の柿を買うのにも、二銭の梨を買うのにも、芯がまっすぐでキズのないものを選んで取るだろう。また、茶碗ひとつ買うにも、色のいいもの形のよいものを選び撫でてみて、音を鳴らして聞き、選りに 選んで取るものだ。世の中の人は、 みなそうだ。

柿や梨は買っても、味や品質が悪ければ、捨てればよいものなのに、こういうものさえ、ここまでして選ぶのだ。

ならば、人に選ばれて、婿や嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者は、自分の身にキズがあっては、人が取ってくれないのは当然のこ とだ。 自分がキズをたくさん持っているのに、上に立つ人に 用いられなかったとき「自分を見る目がない」などと上の人を悪くいって非難するのは、大きな間違いである。自らを省みよ。必ず自分の身に、キズがあるからに違いない。

人の「身のキズ」とは、たとえば、酒が好きだとか、 酒の上での不好だとか、放蕩したとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとかが 挙げられるだろう。

何か一つか二つのキズがあるならば、買い手がないのも当然だ。 これを柿や梨にたとえれば、芯が曲がって渋そうに見えるのに似ている。人が買わないのも、無理はない。このことをよく考えなければなら ない。古語(『大学」伝六章)に「心 の中の真相は、必ず外にあらわれる」とあるが、キズ がなく芯がまっすぐな柿が売れないはずがない。

逆に、たとえ草深い中でも、山芋があれば、人がすぐ に見つけて捨ててはおかない。また、泥深い水中に潜伏するウナギやドジョウも、必ず人が見つけて捕らえるのが世の中だ。 そうであれば、内に真心があれば、それが外にあらわれない道理があるはずがない。この道理をよく心得て、自分の身にキズがつかないように 心がけなければならない。