施しと救済

二宮金次郎はまた、こういいました。
前に述べた方法は、ただ救済の良法だけでなく、農業奨励の良法でもある。これを施すときは、一時の困窮を救うだけでなく、怠惰な者をも自然に働き者に変え、知らないうちに仕事を習い覚えさせる。
そして、それが習慣となって、弱者も強者になり、愚者も仕事に慣れ、幼い子供も縄をなうことや草鮭をつくることなど、その他いろいろな稼ぎを覚えて、することがなく遊びほうける者もいなくなる。人々は、無為徒食を恥じて、それぞれ心を打ち込んで仕事に励むようになるのである。
恵んでも減らさないというやり方は、窮乏を救う良法である。しかし、前の方法は、それよりすぐれた良法だといえよう。
飢麓や凶年でなくても、救済に志のある者は、深く注意しなければならない。世間では、救済に志のある者は、よく考えもせずに金品を施し与えることがあるが、それはよくない。

なぜなら、それによって人々を怠惰に導くからだ。これは、恵んで減らしてしまうということだ。恵んでも減らさないように注意して施し、人々が心を奮い立たせ、努力して困難に立ち向かえるようにすることが必要である。