人道は水車のごとし

二宮金次郎はいいました。 人の道は、たとえてみれば水車のようなものだ。その 形の半分は水流に従い、もう半分 は水流に逆らって回転する。全体が水中に入れば、回 らないで流されるだろう。また、水 から離れたら回るはずがない。仏教において高徳の僧 が世を離れ欲を捨てることは、水車 が水から離れてしまっていることに似ている。逆に、 凡俗の者が教義も聞かず、義務も知 らず私欲一辺倒に執着するのは、水車全部を水中に沈 めることに似ている。 それらはともに、社会の役に立たない。それゆえ、人 の道では中庸を尊ぶ。水車の中庸 は、ちょうどよいほどに水中に入って、半分は水流に 従い、半分は逆らって止まらずに回 転することをいう。人の道もそのように天理に従い種 を蒔き、天理に逆らって草を取り、 欲に従って家業を励み、欲を制御して義務を考えなければならないのである。