天の理と人の理

二宮金次郎はいいました。

世界はくるくるまわり、止むことがない。

寒さが去れば暑さが来て、暑さが去れば寒さが来る。

夜が明ければ昼となり、昼になれば夜がくる。

生まれた子どもは刻々と年を取り、築いた堤防は時を刻むごとにくずれ、ほった堀は日々夜々埋まり、葺いた屋根は日々夜々腐る。

これはすなわち

天の理

である。

 

しかし人の道はこれとは異なる。

風雨定めなく寒暑往来するこの世の中に、人間は羽毛も、鱗もなく生まれてきて、家がなければ雨露も凌げず、衣服がなければ寒暑を凌げない。

そこで、人間は家を作ることを善とし、壊すことを悪とした。

米を取れる稲を善とし、雑草を悪とした。

このように、人は人の道というものを立てたのである。

天理からみれば、稲や雑草に、善も悪もない。

天理に任せれば、全て荒れ地となり、元の姿に戻る。

なぜなら、これが天理自然のみちだからである。

そもそも、天には善悪がないから、稲と雑草を区別せず、種あるものは、みな成長さる。

人道は天理に従うが、そのなかでそれぞれを区別して、人に有利なものを善とする。

人の道は、長い歴史の中で、優れた人がこしらえてきたものである。

人の道は、たやすく壊れてしまう。

 

天の理と人の理はことなること、人の理は長い歴史の積み重ねであること、そして、たやすく壊れてしまうことを十分承知しなくてはならない。