偉人二宮金次郎、桜町に行く
こんにちは
へこみんです
小田原藩主大久保忠真から表彰を受けた金次郎でしたが、小田原藩には思惑がありました。
小田原藩には、宇津家と言う親戚がいました。
宇津家が所領している現在の栃木県県真岡市にある桜町というところは、名目上4000石の石高がありましたが、田畑が荒廃し、実質は1000石しか石高がありませんでした。
それをもとの4000石に戻すために、金次郎が抜擢されます。
大久保忠真は、宇津家を建て直すこととのできる人を見つけるために、表彰を行なったのです。
実はここポイントなんです!
一般的に知られているのは、本当は小田原藩の立て直しとして、金次郎を抜擢したかったが、農民である金次郎に対して、家老たちが妬み反対したっていうものなんですが、これは否定されています。
沢山いる表彰者のなかから、金次郎が抜擢された経緯を簡単に話すと、
表彰された人たちに、桜町復興の企画書をかかせ、一番良さそうなのを採用したのです。それが金次郎の企画書だったのです。
最初金次郎は断るのですが、再三に渡って要請があったため、桜町に行くことを決めます。
このとき金次郎は36歳です。
生まれ育った小田原の地の田畑や家を売却して、家族とともに桜町復興という壮大なプロジェクトを実行します。
しかし、このプロジェクト、最初はうまく行きませんでした。
その理由は、金次郎が行った「報徳仕法」という、手法があまりにも斬新で画期的すぎたからだとへこみんは思っています。
報徳仕法について、次回詳しく書きます。