偉人二宮金次郎の青年期

こんにちは

へこみんです

前回の続きで二宮金次郎について書きます。

菜種を収穫し、捨て苗から1俵を得て積小為大の理を悟った金次郎でしたが、毎日身を粉にして働き、夜は寝る間を惜しんで勉強し、質素倹約に努めます。

そして、18歳の時に伯父の家から独立します。

また、金次郎は、洪水によって廃田となったところを復旧・耕作します。

荒地を開墾して収穫を上げお金を貯め、質に入れていた田畑を少しずつ買い戻し、一生懸命努力して24歳までに一家の再興を果たします。

この頃になると、金次郎は小作人に米を作らせるようになります。

地主・農園経営を行うことで、自分で農業を実施せずに、収入を得るようになったのです。

余裕ができた金次郎は、25歳のときに、小田原藩の家老服部家に武家奉納人(若党)として働きにでます。

仕事の内容は基本的に身の回りのお世話だったのですが、服部家の子どもたちに付き添うようになります。

この、子どもたちに付き添うという点が非常に重要でした。

家老の子どもたちなので、様々な勉強をします。それは、農民の金次郎には習うことのできないものでした。

しかし、子どもたちに付き添うことで、一緒に話を聞き、学ぶことができたのです。このとき朱子学を学んだとされてます。

働きながら、勉強もできる。

この点に注目したところが、金次郎の凄さだと思います。

さて、そんか武家奉公人時代の金次郎に逸話があります。

ある同僚の女中には借金がありました。その人に借金の相談された金次郎は、まず低利でお金を融資をします。そして、女中が飯炊きで使う薪を通常の5本でなく、木炭の再利用などの薪の有効活用など業務効率化で3本で済ませる方法をおしえます。そこで節約した2本を金次郎が買い上げることとします。女中は節約分の2本で得た金銭を貯め、借金返済とその後の資産形成に成功します。

これすごいことです。

今で言うところの超財テクです。

しかもそれを自分のためではなく、同僚の為に知恵を授ける。

もうね、ぐう聖です。

服部家で働いている金次郎ですが、実はその服部家も借金まみれでした。家老という立場なので色々出費することが多く、借財が増えていたのです。

そんななか、金次郎の財テクぶりを身近で見ていた服部家は、金次郎に服部家の家政の建て直しを依頼します。金治郎は最初断りますが、計画に一切口を出さないことを条件に、五年計画の節約でこれを救うことを約束します。

そして、無事に服部家の財務を整理して千両あった借金をを返済し、余剰金300両を贈ります。

しかし、

金次郎は、銭の報酬を一切受け取りませんでした。

この評判によって小田原藩内で名前が知られるようになります。

そんな金次郎の転機となることが起きます。

それは、小田原藩主大久保忠真から直々に表彰を受けたことです。

大久保忠真は、藩内の孝子節婦奇特者の表彰をおこない、、その中に金次郎がいました。

この表彰は一生懸命働くものに対して送られるものです。

金次郎はこの表彰を非常に喜びました。

この表彰は今後の金次郎の生き方に多大な影響を与えました。

 

この表彰を藩主が行ったのには理由があります。

それについては次回に書きたいと思います。

お読みいただきありがとうございました